hiro@krathoorm

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1996年の思い出のライブ、中島みゆきさんの「夜会」です。
自分が中島みゆきさんのファンになった大きなきっかけは、
「夜会1990」(1990年、2作品目の夜会)のビデオを見たことでしたが、
その後、毎年開催されていた「夜会」作品も、ビデオでは欠かさず見てました。
生で体感したい、とチケットも取ろうとはしてましたが、
電話など手を尽くしてもなかなかチケット確保ができず、
ようやく見れたのは、この前年の「夜会vol.7 「2/2」」でした。
「2/2(にぶんのに)」は、夜会で初めて、
テーマ曲「二隻の舟」以外の楽曲全曲が書き下ろしの新曲、
内容も全てオリジナルの書き下ろし、という驚きの作品で、
(ちなみに、これ以降の「夜会」作品は、ほぼ全て新曲、書き下ろし作品です。)
その後、vol.9、vol.17と2回も再演され、さらには映画化までされた作品で、
それも思い出深いことには変わりないのですが、
この「夜会vol.8 「問う女」」は、特に自分の中でさらに思い出深い作品で、
今回記録に残しておきたいと考えました。
(最初の写真は、公演パンフレット)

事前に見ていたこの公演のチラシには、こんな言葉が記されていました。



『26000円というお金は、あなたにとって、
 大きなお金ですか。些細なお金ですか。
 そのお金で、あなたは何を得ようと思いますか』

  言葉の濁流が渦巻く放送局。
  ひっきりなしに言葉を発し、問いかけ続けていながら、
  かつて一度もその行方に携わることのなかった
  JBCアナウンサー、綾瀬まりあ。
  大きな機械のネジ釘一粒のような、乾き切った彼女の心を受け止めたのは、
  言葉を知らない外国人娼婦だったーーーーーー

  『言葉を発するということ』、『人に問うということ』、
  そこになくてはならなかった何かを思い知らされ、
  まりあが初めて一人の人間として語り始める。その時放送局は・・・・・・




ファンクラブで最初からA席希望で、なんとかGETしたチケットでした。
会場のシアターコクーンは800席程度のキャパしかなく、
チケットの確保にはファン全員、大変苦労していたと思います。

さて、舞台は、客席の電気が落ちて、真っ暗の中、
所々穴あきになっている特徴的な舞台の、
「畦道」状の部分が光るような状態から始まりました。

そんな中、ラジオが流れるように、M1「羊の言葉」が流れ、
それをバックにみゆきさん(主人公「綾瀬まりあ」)の朗読が始まりました。
自分がアナウンサーになる前にウエイトレスなどのアルバイトをしていた。
マニュアルに従って、決まった受け答えだけすれば良かったので、
知らない人と会話するのが苦でなかった。
アナウンサーになってから、この仕事も似ていると思った。
・・・でも、ふと気づくと、自分はこれまで何も「聞こえた」ことがなかった。
そんな内容でしたでしょうか。



このシーンは、翌年映像化された際にバッサリカットされてしまいましたので、
記憶の中にしかないです。
翌年、映像と合わせて出版された著書「問う女」で、この辺りのエピソードが詳しく書かれていて、
理解が深まったのを覚えてます。

そして、舞台に登場した綾瀬まりあさん、ラジオ番組のDJとして淡々と話をされます。
まるで機械が話しているような単調な話し方は、
みゆきさんご自身のラジオ番組とは全然違ったトーンで・・・。
M2「コマーシャル」は映像化もCD化もされていない幻の作品。
あまり詳しく覚えてませんが、まさにCMソングって感じで、こんな曲まで作られるとは、
と驚いたのを覚えてます。
そして、ラジオ番組のエンディングとしてM3「JCBのテーマ」
この辺りまでは映像化の時に大きく変更になってしまいましたが、
この曲は、最後の大事な場面の伏線になっており、
その部分で映像化されて残ってます。

その後、第一幕では、スーパーで着ぐるみを着て踊るM5「SMILE, SMILE」
台風接近のニュースを伝えるM6「台風情報(Inst)」などが続きます。
台風のシーンで、恋人を友人に取られてしまう描写があり、
綾瀬まりあさん、その場で携帯電話を投げ捨てて、
さらには後日、自分のラジオ番組で、
その友人(と同姓同名だと後で判明)からきたハガキ、
「彼の子供を中絶しました」という内容を匿名希望にもかかわらず、
本名で読んでしまいます。

そして雨の中、酔っ払って街をさまようまりあさんが出会ったのは、
「ニマンロクセンエン」としか言わない、外国人娼婦さんでした。
M10「Rain」(M21「Pain」の歌詞違いヴァージョン)
とともに、第一幕が終了します。



第二幕は、デパート屋上でアイドルのインタビューをする場面から。
インタビューの内容が突然、アイドルに不倫の内容を問いただすものになっていて、
戸惑いながらも、上の指示通り問いただしていくM12「公然の秘密」
歌とセリフが交互にやってくる曲のクライマックスは非常に高度なテクニックですよね・・。
のちに夜会で共演する中村中さんが、
みゆきさんの特集番組でこの曲を印象深いと挙げられていて、
自分はとっても嬉しかったのを覚えてます。

M13「エコー」から、またラジオ番組の収録場面に。
番組に寄せられていたハガキの中に、先日自分が本名で読んでしまったリスナーと
同じ名前のハガキを見つけます。
そこでまりあさんは、同姓同名の別人の方に、
ひどいことをしてしまった、と気づき、動揺します。
M14「誰だってナイフになれる」
CMの読み上げをいつものようにするのですが、動揺は隠し切れないのか、
うまくできません。
そして、まりあさん、放送局を飛び出していきます。

M15「女という商売」
夜の街をさまようまりあさん。
「ニマンロクセンエン」が踊っているのを見つけ出し、
店のスタッフにお金を払って、「ニマンロクセンエン」さんを連れ出します。
ちなみにこの曲は、1998年のツアー、2014年の「夜会工場vol.1」でも歌われました。
立ち入り禁止のスキー場のゴンドラ(この描写はビデオで明確に・・・)に乗り込むシーンで
一瞬(舞台では2フレーズだけだった記憶)テーマ曲M16「二隻の舟」がコーラスで流れます。

そしてゴンドラ(ラジオ局のブースだった四角い箱が、ステージの中程に浮いてました)の中で、
言葉の通じない「ニマンロクセンエン」さんに語りかけながら、
M17「あなたの言葉がわからない」
そこで、自分の男を奪っていった女と同姓同名の別人のハガキを読んでしまったことなどを話しかけますが、
「ニマンロクセンエン」さんにはもちろん通じません。
その代わりに、「ヌン、ソン、サーン、シー、ハー」という言葉を教えてもらいます。
(これは、タイ語で1、2、3、4、5という意味だと後で知ります。)
「ニマンロクセンエン」さんは自分の子供の写真を見せてくれるなど、
言葉が通じなくても、心が通い合っているような微笑ましいシーン。
今回の夜会はハッピーエンドかと錯覚したその時に、
大きな破壊音のような音量と共に舞台は暗転します。

M18「未明に(Inst)」
少しづつ明るくなっていく舞台。ゴンドラは大きく傾いてます。
強い風に吹き飛ばされて、支柱に当たって大事故になったようです。
まりあはなんとか動けるくらいの怪我のようですが、
「ニマンロクセンエン」は出血がひどく、すぐに処置が必要な様子。
血を止めようと近づくまりあさん、それを「ニマンロクセンエン」さんは突き放します。
「何するのよ!」と驚くまりあさんに、「ニマンロクセンエン」さんは、
「H・・・・・I・・・・V・・・・・+・・・・・」と振り絞るような声で答えるのです。
え、と驚き、後ずさるまりあさん。
しかし、やはりこのままではダメだと、血を止めようとします。

どれだけ時間が流れたのでしょうか。
救急車がやってきて、運び出されたものの、
HIV+の患者の受け入れはできないと、
どこの病院も受け入れてもらえず、
「ニマンロクセンエン」さんは帰らぬ人となってしまいました。


そして、まりあさんのラジオ番組は最終回を迎えます。
声のトーンが、最初の機械的な声から変わっているのがわかります。
台本どおりに始まったラジオでしたが、
それを遮って、
『26000円というお金は、あなたにとって、
 大きなお金ですか。些細なお金ですか。
 そのお金で、あなたは何を得ようと思いますか』
という、この舞台のチラシに書かれていたセリフが出てきました。

そこから、まりあさんの「語り」が始まります。
「私、誰の言葉も聞きたくなかったんです。人の言葉を遮るために喋り続けてきたんです。」
「『問う』ということは『語る』こと、『語る』というのは『聞く』こと」
「虚しさや不安や、恐れ、プライド、迷い、やり切れなさ、孤独・・・
 私、26000円というお金と引き換えに、そんなものを彼女にぶちまけたかっただけなんです」
「ニマンロクセンエンが最後に残した言葉は『マイ』という言葉でした・・・
 『マイ』というのは、タイの言葉で『NO』ということだったんです。
 この国にいる限り、誰に対しても『YES』としか言わなかった彼女が、
 最後の最後に『NO!』『NO!』『NO!!!』と言い続けて死にました。
 それがわかった時、私やっと気がつきました。
 私が今まで使ってきた全ての言葉は、誰もかもに対して『NO!』というための道具に過ぎなかった・・・」

・・・こんなセリフを聞きながら、自分は体の震えが止まりませんでした。
まるで自分の触れられたくない、心の奥深くに仕舞い込んでいた恥ずかしい部分をえぐられたような・・・
自分もこれまで話してきた言葉はどうだっただろうか。
何もかもに対して『NO!』と言っていただけだったんではないか・・・。

そして、そんなまりあさんの告白を遮るように、突然M19「JBCのテーマ」
まりあさん、最初は気づかずに話し続けますが、周囲の変化でオンエアーされていないことに気づきます。
ブースを飛び出て、放送を懇願するまりあさん、そこに「ニマンロクセンエン」さんの声が聞こえてきて、
まりあさん、思いとどまります。
M20「未明に(Inst)」
まりあさん、決心したように放送局を去る準備をしてます。

そして、M21「Pain」
まりあさん、放送局に丁寧にお別れの挨拶をして、歌います。
歌い終わった時に、舞台中央に客席に向けてマイクを置いたのは後から知りましたが、
それは、最後に観客に「問う」という演出だったのでしょうね。(すごい・・・)
「ニマンロクセンエン」さんの子供に会いにいくのでしょうか。
おもちゃなどが入った紙袋を持って、舞台から客席に降りて、観客の間を縫って、
退出されました。

多分、自分がみゆきさんの曲でどれか1曲だけしか聴けない、
としたら、迷わずこの曲を選びます。
この曲を生で聴けたのは、今から考えても非常に幸運でした。
のちに、「月-WINGS」というアルバムでCD化されますが、歌詞や構成が一部変わってしまいました。
そのレコーディング風景は「夜会の冒険」というNHKの番組で放映されて、それも嬉しかったです。




(写真は当時掲載された「FM fan」さんの記事)
この作品は、「ジャパゆき」という言葉や、HIVに対する認識など、
1996年時点でもすでに若干時代錯誤的な設定があり、
「ドラマにもなり得ない」などと批判されているのも見ました。
でも、自分はその部分はあくまでも枝葉の部分であり、
みゆきさんが問いかけたかった本質は(もしかしたら違うかもしれませんが、)
自分にも十分すぎるくらい伝わったと感じてます。

この時点では、まだ海外旅行も、ましてやタイに関わる仕事をするなど思っていなかったですが、
今でも、26000円という金額に遭遇したり、タイ語で数字を言う機会があるたびに、
この作品を思い出して、自分が話している言葉が「NO」と言うだけの道具になっていないか、
改めて見返す機会になってます。



翌年映像化された「問う女」は、特に冒頭の部分が大きく編集されていて、
みゆきさんが飛行機の座席に座って、舞台最後に客席を通って退出された時に、
手にもたれていたおもちゃなどのお土産を持って、
これまでの経過を思い出している(悔恨している?)シーンから始まってました。




時は流れて、2017年の「夜会工場vol.2」では、
映像でカットされてしまった(のちにアルバム「日ーWINGS」でCD化されていました。)
「羊の言葉」が、中村中さんと石田匠さんキャストで放送局の設定で新たな場面設定で披露されたとともに、
「あなたの言葉がわからない」が本編最後に歌われました。
1996年のこの舞台を見たときに、「ハッピーエンド」と勘違いしてしまったのですが、
その勘違いが本当になったように、ハッピーエンドのように終了したのが、
自分には、この曲にも、この作品にも新たな命を吹き込まれたようで、嬉しい出来事でした。

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