hiro@krathoorm

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1995年3月8日、名古屋のセンチュリーホール 白鳥での
「CONCERT'95 LOVE OR NOTHING」が自分の初めての中島みゆきさんのライブ参加でした。

中島みゆきさんの曲は、自分が音楽を聴き始めた1982年頃からラジオで耳には入ってました。
確か「横恋慕」が最初だったかと。
その後、「あの娘」のサビの部分で女性の名前が連呼されるのを子供心に変わった曲だなーと
感じたのを覚えています。
そして、数年後、親戚のお姉さんから
「中島みゆきPRESENTS BEST SELECTION16」というアルバム(今は廃盤)を
「いいから聴いてみて」と言われて聴いてみたのですが、
「土用波」とか「ミュージシャン」が、
自分の中島みゆきさんのイメージとは違う曲を歌われているのだな、
と印象に残っているのですが、それほど聴き込むまでに至らず・・・。

1991年末、知り合いが見せてくれた「夜会1990」のビデオを観て、
「彼女によろしく」や「孤独の肖像」、「二隻の舟」あたりがすごく心に響いて、
え、中島みゆきさんってこんな曲を歌うんだ、歌詞すごくない?
と思ったのが自分のファンの始まり。
その後、アルバム「歌でしか言えない」(1991年)からリアルタイムで聴き始め、
夜会のビデオなども観てましたが、
夜会を一度生で観てみたい、とチケットを取りたくても、
予約の電話も公衆電話で粘っても全くつながらず・・・。
そんな時に「空と君のあいだに」が大ヒット(1994年)、
自分もその歌に勇気づけられて、さらにみゆきさんを熱心に聴くように。
そして、就職を前に、どうしてもみゆきさんのライブを観たい!と
あちこち応募して、ようやく手にしたのがこのチケットでした。



あちこち申し込んだ時の記録が一部残ってました^^;
実は、このツアーはその後の4月20日の大阪城ホールでも観れました。
というか、フェスに申し込んだら、取れずにこっちになっちゃったんですが・・・。
自分が大学時代に見た最後のライブ、そして社会人になって最初に見たライブになりました。
センチュリーホールはとにかく駅から遠かったという印象しかないですが、
大阪城ホール(この時自分は1988年のTM NETWORKさん以来2回目)の
アリーナ50列目、なんて見えるんだろうか、と思って行ったら、
なんと、その辺りだけ特設階段席のようになっていて、意外とよく見えたのを覚えてます。
・・・というか、大阪城ホールはその後何度もライブを観にいってますが、
あんな階段席はこの時しか見たことがないような・・・。
4月20日の大阪城ホール公演は、このツアーの千秋楽公演となり、
その前の横浜公演と城ホール公演だけ1曲多かったので、お得感がありました・・・。

ライブは、アルバム「LOVE OR NOTHING」(1994年)の収録曲の
M1「流星」から始まったのは・・・・正直あまり覚えていません^^;
この曲、このライブ以降、特に2000年代以降、
みゆきさんのツアーのテーマソングのように、何度もセレクトされていて、
2020年のラストツアーでも歌われた曲です。
ツアーの移動中に、サービスエリアでたまたま出会ったトラックの運転手さんが、
全国あちこちに流れている様子を「流星」に喩えた歌詞は、
これまた地名を列挙するというあまり見慣れないスタイルが面白いですね。

そしてM2「泣きたい夜に」(これもその後何度かライブで聴けた曲です)に続いて、
M3「もう桟橋に灯りは点らない」
この曲は2015年のスペシャルライブ「一会」のオープニングでもう一度聴けて驚きました。
(みゆきさん自身が「今歌いたい歌」のライブの一曲目で意味深な選曲でした)
M4「最後の女神」は、1993年発表のNEWS23のエンディング曲でした。
ライブで披露されたのはこの時が初めてだったようですが、
この曲もこの後のライブで頻出曲になりました。
2020年ラストツアーでも歌われました。

確か、大阪城ホール公演では、ここでちょうど放送の始まった
ドラマ「家なき子2」の話になって、
発売前のその主題歌「旅人のうた」が追加されてまして・・・
ラッキーと思って聞き入ってましたら・・・
2番に入る直前に音楽が止まりまして「2番はまだない!」とみゆきさんがおっしゃったので、
会場大爆笑でした。
同じスタイルは、2017年の「夜会工場Vol.2」で「慕情」を歌われたときにもありましたが、
あの時はワンフレーズだけだったので、この時は1番全部聴けただけでもラッキーでした。

そして、自分がまず印象に残っているのが、M5「バラ色の未来」
アルバム「LOVE OR NOTHING」の曲ですが、
1994年の秋に松任谷由実さんのラジオ番組に
みゆきさんがご出演された際にかかった曲として印象に残ってます。
なんと1番だけで切られてしまってずっこけた記憶も・・・。
ライブでは、ここで初めてみゆきさんのファンの間で「ガナリ」と呼ばれる、
素晴らしいシャウトを目の当たりにして・・・呆然。
生で聴くとこんなにすごいのか!!!
でも、それはこのライブのまだまだ序章だったのです・・・。
そして、同じアルバムの曲、M6「風にならないか」
「難しい言葉は自分を守ったかい?」という出だしが印象的な曲を歌われて、
一度みゆきさんはステージを降りられます。

そして、この時のライブの特徴の一つでもあった、ストリングス隊の弦楽器演奏で、
M7「冷たい別れ」〜M8「誘惑」〜M9「悪女」〜M10「御機嫌如何」
〜M11「浅い眠り」〜M12「未完成」
とインストルメンタルメドレーが続きます。
そして、みゆきさんが再登場されて、M12「未完成」
この曲は、薬師丸ひろ子さんへの提供曲で、
1987年のアルバム「星紀行」のラスト曲、
当時自分も薬師丸さんの「未完成」をよく聴いてました。
みゆきさんのアルバム「回帰熱」(1989年)でセルフカヴァーされているのを知ったのは、
その随分後(それまでみゆきさんの作品だったとは知らず^^;)でしたが、
自分は薬師丸さんの曲を聴いていた頃から、
「何が未完成なんだろう・・・?」と漠然と疑問を持っていたのですが、
ライブでみゆきさんの歌うこの曲を聴いて、
「あ、そうか!!!なんて切ない歌詞だったんだ!!」
「私はいつまでもカケラを探してる」なんてすごすぎる歌詞!と初めて気がついて、
痛く感動したのを今でも思い出します。

そして、少しMCを挟んで(あ、ここまでにももちろんあったと思います^^;)
今回、念願のストリングス隊を編成できたので、こんな曲をやりたいと思います・・・で、
M13「店の名はライフ」M14「かもめはかもめ」
どちらも自分がリアルタイムで聴いていた曲ではありませんが、
特に「かもめはかもめ」がストリングスが非常にあっているなぁ、と感じました。
そして、1990年のアルバム「夜を往け」の曲、M15「君の昔を」
「妬んでいるー」のみゆきさんの声、怖いくらい素晴らしい、と聞き入ってました。
そして、おそらくみなさんお待ちかねだったM16「空と君のあいだに」
ストリングスが印象的なアルバム「LOVE OR NOTHING」の1曲目の新録ヴァージョンで始まって、
バラードとして聴かせてくださっていたのですが、
2番からはテンポを上げたシングルバージョンに変わって、
特に最後の「僕は悪にでもなるーーーーーー」は
それはそれは素晴らしい「ガナリ」で歌い上げられました。
この曲も、その後結構な頻度でライブで歌われていて、
2012年のライブ「縁会」の1曲目として映像化もされたのですが、
自分は、この1995年の時の、
アルバム&シングルヴァージョンミックスだった「空君」がベストな思い出です。

そして、本編最後のM17「YOU NEVER NEED ME」
アルバム「LOVE OR NOTHING」の「愛か無しか」を一番色濃く表現されている、
壮大な曲(なんと8分44秒という長作!)ですが、
みゆきさんご本人も確かおっしゃっていた「ドスコイ」という表現が
なんだかピッタリくる最後のシャウトは、CDで聴いていてもすごいのですが、
生で聴くともうそれはそれは恐ろしいくらいの表現力と迫力。
この辺りから、メロディラインも崩されて歌われたりしていて、
より歌詞が胸に響くように思えました。



そして、アンコール1曲目は、これも「LOVE OR NOTHING」の収録曲、
M18(En1)「夢だったんだね」
大阪城ホールでは、スタンディングで手拍子が起こってました。
自分も立ち上がって手拍子しながら聴いたのを覚えてます。
この曲、明るい軽めの曲と聴こえてしまうのですが、
「「願い」と「予感」は間違えやすい」
「「信頼」と「期待」はあまりにも似ている」など、
みゆきさんらしさが滲み出ている歌詞が自分はかなり好きな曲です。



そして、M19(En2)「ひまわり”SUNWARD"」
またまたみゆきさんの「ガナリ」が素晴らしかった曲。
「たとえどんな名前で呼ばれるときも 花は香りつづけるだろう」
という歌詞が印象的なこの曲は、大阪公演の後に行われた、
初めての海外(香港)公演で、
みゆきさんが「この曲だけは歌詞の意味をしっかり知ってほしい」と、
通訳の方に依頼されて、歌詞を翻訳して朗読された後に歌われたそうです。
中国への返還2年前のことでした。
その後、まさか自分が数年後から香港へ何度も行き、
さらに今の仕事のイベントを実施することがあろうとは
その時は想像もしてませんでしたが、
今の香港も香り続けてほしい、とこれを書きながら改めて願わずにはいられません。
この曲、かなり好きな曲なのですが、ライブで聴いたのはこの時だけです。
2020年のベストアルバム「ここにいるよ」で選曲されたのが嬉しかったです。

・・・ここまでで、もう十分に感動して、圧倒されて、
みゆきさんの凄さを体感してました。
素晴らしい。
こんなライブ今まで見たことない!!!!!



しかし・・・
このライブの最後には、ファンの方たちの間でも、自分の中でも、
後に語り継がれる、伝説になったエピソードがまだ残されてました。


みゆきさん、ここまでのMCのトーンとは違う、
非常に真面目なトーンで語り出されました。
(注:以下は自分の記憶から再現した言葉で、実際には違っていたと思います。
   うまく再現できていなければすいません。)

『新聞やテレビでは、
いろいろな出来事が伝えられています。
大きな地震(注:阪神淡路大震災)も、
恐ろしい事件(注:地下鉄サリン事件)も起こりました。
・・・・犠牲になられた方々に、心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

・・・
ニュースにならなくても、
他人から見たらどうでもいいようなことでも、
皆大切な宝物のような夢を持っていて、
それが傷つく事があるということを
心痛く思います。

夢は、叶った方がいいです。
でも、どんなに努力しても、
叶わない夢もあります。
・・・
どんなに傷つきながらでも、
姿・形を変えながらでも、
いつか、きっと、
あなたの夢が、
叶いますように!』

そして、ピアノの前で和音を弾かれながら、
「私中卒やからね仕事を・・・」と歌い出されたのが、
M20(En3)「ファイト!」
1983年のアルバム「予感」のラスト曲だったこの曲は、
1994年にシングル「空と君のあいだに/ファイト!」としてシングルカットされました。
自分ももちろん聴いて、いい曲だとは思ってましたが、
この時のライブの「ファイト!」は、
その音源とみゆきさんの熱量が全く違っていて、
特に歌の後半では、元々のメロディラインがわからないくらいに変わっていて、
でもそれが素晴らしく心に響きました。
もうそれは「圧巻」というか「圧倒」というか・・・。
魂からの叫びのように「ファイト〜ォ〜〜〜!!」と歌われたのは、
後に吉田拓郎さんがこの曲を歌われていた歌い方から
みゆきさんがインスピレーションされた、ということを知りました。

ちょうど学生から社会人になる時にこのライブに参加して、
この「ファイト!」を聴けたことを、
その後の自分の人生の中で何度も思い出して、
励まされたかわからないくらいです。
みゆきさんのライブ映像は、「夜会」を除けば、
2007年のツアーを映像化した「歌旅」が最初で、
そこで、この「ファイト!」も収録されます。
もちろんその時の「ファイト!」も素晴らしいのですが、
この1995年のライブ映像も、音源もリリースされていない
「ファイト!」を自分は生涯忘れることはないでしょう。
そして、この後、自分は夜会もコンサートも、
それまで以上に必死にチケットを探し求め、
毎回欠かさず参加するようになったのでした・・・。




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中島みゆきさんの多くのファンの中には、
自分よりもずっと昔から、
ずっと深くみゆきさんの音楽などに触れられている方が多く、
自分がこんな感想文的懐古記録を今更書くのはどうかとも思ったのですが、
やはり、自分が初めて参加した、それも素晴らしいと感じたことを残しておきたいと
今回ブログ記事にしてみました。
間違いなど多数あると思いますが、何かの参考になったり、
同じように懐かしく感じていただいたりしていただけていれば嬉しく思います。
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